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党訪中団4日目:天津 南開大学の学生と懇談、視察など

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南開大・学生らと懇談/山口代表

【天津8日=松崎洋一】公明党訪中団の山口那津男代表らは8日午前、
天津市内の南開大学で、同大学の教員や学生らと同大学が母校の周恩来元首相が残した
日中友好の精神などについて和やかに懇談した。

山口代表は、同大学訪問の目的について、周元首相と党創立者の
池田大作・創価学会名誉会長が切り開いた日中平和の歴史を振り返りながら、
「周元首相の精神を受け継ぐ南開大学の学生と心を共にし、
後世に日中友好の精神を伝えたい」と述べた。

懇談に参加した同大学の「周恩来・池田大作研究会」の学生代表は、
「周元首相と池田先生に共通する思想は愛と平和だ。平和は愛を基礎に立っている。
二人の平和思想を世界各地で広めていきたい」と語った。

>> [外部リンク]公明ニュース「南開大・学生らと懇談」


 山口代表 南開大学(周元首相の母校)で講演

【天津8日=松崎洋一】公明党訪中団の山口那津男代表は8日午前、
天津市内にある周恩来元首相の母校・南開大学を訪れ、
同大学の周恩来政府管理学院、周恩来・池田大作研究会の学生ら約200人を前に、
「『南開精神』に学ぶこれからの日中関係」をテーマに講演しました。
同大学は中国内でトップクラスの教育・研究レベルを誇ります。

講演で山口代表は、同日が党創立者である創価学会の池田大作名誉会長による
「日中国交正常化提言」(1968年9月8日)発表から50周年の日であることを
指摘し、「公明党として忘れることのできない原点の日だ」と強調しました。

また、周元首相と池田名誉会長の会見(1974年)で促した
日中平和友好条約の締結から今年で40周年であることに触れ、
「南開大学の『南開精神』に込められた『開拓』『開放』『開明』の精神に学び、
次の40年をめざしたい」と力説。具体的には、日中の経済や社会保障の協力、
自由貿易体制の維持・発展、青少年交流の促進などを挙げました。

講演後には、学生との質疑応答が行われ、
山口代表は、日中の首脳往来の重要性などを語りました。

>> [外部リンク]公明ニュース「山口代表 南開大学(周元首相の母校)で講演」


 公明党の山口那津男代表は8日、中国・天津市にある、周恩来元首相の母校・南開大学で「『南開精神』に学ぶこれからの日中関係」とのテーマで講演した。同日は、党創立者の創価学会・池田大作名誉会長が「日中国交正常化提言」を発表して50周年の日。講演の要旨を紹介する。

■(公明党と日中交流)結党以来、党挙げ友好推進

 きょう9月8日は、公明党にとって、忘れることのできない日中交流の原点の日です。党創立者の池田大作創価学会名誉会長が今から50年前の(1968年)9月8日、1万数千人の学生を前に、日中の国交正常化提言を行いました。

 また、本年は、日中平和友好条約の締結から40年、周恩来首相生誕120年、そして中国の改革開放から40年となります。

 公明党は64年の結党以来、全党を挙げて日中友好を推進してきました。党創立者の池田名誉会長は結党に当たり、ただ一つだけ強調されたことがあります。それは、中国を正式に承認し、国交回復に真剣に努めてもらいたい、とのことでした。結党大会の活動方針には、中華人民共和国承認と国交正常化がうたわれました。

 公明党として初めて北京に足を踏み入れたのは、71年。中華人民共和国が中国を代表する唯一の合法政府とするなどの「公明党5原則」を携え、周恩来首相(当時)との2回にわたる会談も含め、計17回の会談が続きました。結果、公明党が提案した「5原則」に同意が得られ、公明党代表団と中国側との間で共同声明が調印されました。

 72年には両国政府間で「日中共同声明」が調印され、日中の国交正常化が実現。日中友好の歩みは、その後も先輩から後輩へと受け継がれ、公明党の伝統となっています。私自身も日中関係の平和的発展こそ、両国の核心的利益であるとの信念で、これまで友好交流を推進してきました。

■(立党精神と南開精神)「大衆とともに」で一致

 公明党の立党精神は、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」です。現在は、連立政権における与党として福祉、平和の党という、公明党の持ち味を生かして、より多くの国民の支持を得られるよう、努力しています。

 南開大学の創立の精神は、創立者・張伯苓校長が提唱された校訓「允公允能、日新月異(公にして能、日進月歩)」の8文字に概括されていると伺いました。「允公は公正、大公無私を意味する大きな公、すなわち大公であって、特定の地域や集団の利益である小公ではない」、「允能とは、近代化された科学的才能を持つこと」、そして「日新月異(日進月歩の意)は、新たな事物の創始者となり、時代の最前線を走っていけるように求めていくこと」とされました。

 この「南開精神」には、三つの「開く」という意味があると考えています。すなわち、逆境を恐れず、試練を断固として乗り越えていく「開拓」の精神、国際開放大学とまでたたえられるほど、世界との交流が活発な「開放」性、そして常に進取の気概で時代の最前線を走る「開明」的な行動力のことです。

 この南開精神を、その第1期生として体現されたのが、「人民の総理」とたたえられた周元首相にほかなりません。周首相は、母校である貴大学で学生に対し「君たちは人民の子である。一瞬たりとも人民を忘れてはならない」と語り掛けました。これは、公明党の「大衆とともに」の立党精神と完全に一致するものです。

■(提言と周首相会談)東西冷戦下で危険恐れず

 国交正常化提言が発表された68年当時は、東西冷戦下で米中は敵対関係にあり、日本政府も中国敵視政策を取っていました。中国と付き合うというだけで白眼視される時代背景にあって、国交正常化を提言することは、身に危険が及ぶことをも意味していました。

 しかし、そうした命の危険を恐れることなく、池田名誉会長は提言を発表し、(1)中国政府を正式に認め、国交正常化を図る(2)中国の国連における正式な地位の回復(3)早急に日中首脳会談を実現(4)両国の経済的・文化的交流の推進――などを訴えられました。そして、具体的な国交正常化交渉の橋渡し役として公明党が働かせていただきました。

 この提言は、中国にもすぐに伝わりました。当時、「光明日報」「新華社」の東京特派員だった劉徳有元文化部副部長が、提言を大ニュースとしていち早く北京に打電され、報道もされています。

 「人民の総理」である周首相と、「大衆とともに」を掲げた池田名誉会長の唯一の出会いこそ、74年の周・池田会談でした。がんを告知されていた周首相が、「どんなことがあっても会わなければならない」と、医師の反対を押して会談に臨まれ、最後に会った日本人が池田名誉会長でした。

 公明党を創立した池田名誉会長の「大衆とともに」との思いと、周首相の「人民に奉仕する」との根本的趣旨が共鳴し合い、日中友好の大河となったのです。

■(平和の絆を世々代々に)青年の相互理解、信頼を

 昨年末に中国で開催された日中与党交流協議会は、今秋には、日本で開催されると伺っています。両国の安定した発展には、こうした政党間交流は欠かせません。日中相互の信頼関係をより強固にすることが肝心です。それが日中両国にとってはもちろん、アジア、世界の安定と平和のために、多大な利益をもたらすことは間違いありません。

 日中相互の信頼関係を築くには、お互いのことを理解することから始めなければなりません。日中双方の各界各層の交流を重ねることが大事です。末長い関係の安定のために、若い世代の交流がもっと広がるよう、努力していきたい。

 日中間には、隣国ゆえに難しい課題もありますが、懸案を適切に処理しながら、あらゆる分野で協力と交流を推し進め、大局的な観点から、日中関係のさらなる改善に双方が努めることが重要ではないでしょうか。

 また、「南開精神」に込められた「開拓」「開放」「開明」の精神により、日中平和友好条約の「次の40年」をめざしてまいりたい。

 具体的には第一に、日中の新しい協力分野を「開拓」したい。第三国における民間経済協力やイノベーションおよび知的財産権保護に関する協力など新しい分野の協力案件を具体化することが重要です。高齢化に対応する中での新たな日中の協力も推進したい。介護先進国・日本が貴国の高齢化対策に貢献できる分野も少なくないと思います。

 日中の防衛当局間での「海空連絡メカニズム」の運用開始は朗報です。双方トップによるホットライン(専用電話)の早期開設、年次報告検証会議、定期的な日中安保協議など、日中双方が信頼醸成できるよう後押ししていきたい。

 第二に、先の日中韓サミット(首脳会議)でも確認されたように、日中韓FTA(自由貿易協定)の推進やRCEP(東アジア地域包括的経済連携)の交渉加速化など、開かれた自由貿易体制の維持・発展に向けて、日中双方が協力していくべき分野は大きい。

 最後に、「開明」的な日中関係においては、とりわけ日中の青年交流の枠組みを推し進めていきたい。新たな「日中青少年友好交流年」を設定し、さらに強力に推し進めていくべきだと思います。

 そして、今回の南開大学と公明党との世々代々の交流が、日中友好の新たな局面を開くことを確信しております。

>> [外部リンク]公明ニュース「「国交正常化提言」50周年 新たな日中の歴史を開く」

 
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