活動報告

国会質疑

憲法裁判所について<衆院・憲法審査会>国重衆院議員

衆院憲法審査会は6日、自由討議を行い、公明党の国重徹氏は「憲法裁判所について」意見を述べた。

>>外部リンク 衆院・憲法審査会

会議録
衆議院憲法審査会 第6号 令和5年4月6日(木曜日)
○國重委員 公明党の國重徹です。

先週の審査会で、三木委員から、憲法裁判所に関する私の二十三日の発言に関しまして御質問をいただきました。そのポイントは、抽象的違憲審査や機関訴訟が可能なのであれば、多くの訴えが行われ、違憲判決が増えるのではないかという点にあると思われます。本日は、これに関して意見を述べたいと思います。

まず、改めて申し上げますが、違憲判決の数の多寡、多い少ないは、我が国の違憲審査の在り方を考える上で、問題の本質ではありません。このことは、三木委員も、裁判の数だけでよい悪いを論じているのではないと言われておりますので、共通した認識であると受け止めております。

裁判所が憲法の番人たり得ているか、これを考えるに当たっては、違憲判決の数だけではなく、国の立法システム、司法システム全体を見る必要があります。

その上で、三木委員の、抽象的違憲審査や機関訴訟が可能なのであれば、多くの訴えが行われ、違憲判決が増えるとは思わないか、この問いかけについては、裁判所が憲法判断する機会が増えれば、それに伴って違憲判決がこれまでより増えるということはあり得ることと思います。しかし、それが政治部門との役割分担などの中で直ちに国民の信頼を得られるものになるかどうかは、別途検討が必要な問題です。

ある制度が適切に機能して国民の信頼を得られるものになるかどうかは、その制度が土壌とする様々な要素、法文化や社会的、歴史的な背景も併せて考えなくてはなりません。つまり、ある制度が適切に機能しているからといって、その制度をそれが定着している土壌から切り離して別の土壌に持っていったとしても、同じようにうまく機能するとは限りません。にもかかわらず、その土壌の諸要素を深く考慮することなく、制度がよければほかの土壌でもその制度がうまく機能するという考え方は警戒を要する。このことは、著名な憲法学者を始め、よく指摘されてきたところであります。

この点、例えば、ドイツの憲法裁判所やフランスの憲法院という制度が、それぞれの土壌の中に溶け込み、国民の信頼をかち得るまでには相当長い期間を要しました。連邦法や州法に対する違憲審査のほか、憲法訴願などの強力な権限を有するドイツの憲法裁判所は、今でこそ、その活動を通じて人権保障機関としての地位を確立していると評価されております。しかし、とりわけ、一九九〇年代頃に憲法裁判所が次々と出した違憲判決について、立法府への介入が過度にわたるなどといった批判を受け、政治部門との役割分担のバランスが崩れたり、国民の支持を失うなど、憲法裁判所制度自体に対する信頼が揺らいだこともあったようであります。

このように、ドイツの憲法裁判所、またフランスの憲法院も同様に、紆余曲折を経て、何十年という時間をかけてようやく現在の地位を確立し、国民の信頼を得る機関になったわけであります。

その意味では、我が国の最高裁判所による付随的違憲審査制は、既に我が国の土壌に組み込まれ、定着し、国民の一定の信頼を得ていると評価できる一方で、憲法裁判所を新たに創設した場合、それが我が国に定着し、国民の信頼を得るためには、相当な努力や時間を要すると思われます。

その上で、先日の三木委員の発言の背景にあったのは、我が国の司法チェックには不十分な部分があり、その欠けている部分を補う改革が必要だという思い、これが本質的なことであって、その手段として、抽象的違憲審査や機関訴訟を提案されていたと推察をいたします。

最高裁の違憲審査に対する姿勢は極端な司法消極主義であるとも評されており、それによって人権保障や憲法保障の観点から問題が生じているのであれば、その改善策についての真摯な議論、検討は必要です。例えば、前回の審査会で柴山委員がおっしゃっていたように、現在の最高裁を前提にその在り方を改めて検討していくことも一案だと思われます。

憲法裁判所の創設に関する議論は大いに行えばよいと思いますが、これについては多くの論点があることを改めて申し上げます。二十三日にも指摘したとおり、大所高所から国家の在り方を見据えて判断できる裁判官の確保や、その政治的な中立性をいかに確保するのかといった問題、また、裁判の政治化や政治の裁判化という三権分立にも関わる本質的な問題もあります。

憲法裁判所の創設については、我が国の法文化や社会的、歴史的背景に立ち返った様々な観点からの慎重な検討が必要であると改めて申し上げ、私の発言といたします。

 
PAGE TOP