ヒストリー

大阪生まれの大阪育ち。
3兄弟の長男として、製麺業を営む父の手伝いをしながら、多忙な両親に代わって、弟、妹の面倒を見てきた。塾に通ったことはなく、ゲームも家にはなく、少年時代は友達とよく外で遊んでいた。

小学校高学年から中学、高校と剣道に打ち込み、心身を鍛えた。当時は非常に小柄だったが、市の大会において個人戦で優勝。団体戦では、チームに勢いをつけるムードメーカー的な先鋒を常に任された。

学生時代に、弁護士を志し、司法試験に挑戦。その最中、最愛の妹が病で急逝。母の泣き崩れた姿を忘れることができない。人生最大の打撃だった。追い打ちをかけるように、試験の不合格と、進行性の末期ガンで父が余命3か月の宣告。母も病に倒れる。もがきながらも、人生や生命について思索を重ねた冬の時代。その後も幾多の苦難を乗り越え、司法試験に合格。

一番苦しかったときに、同苦の心で支え励ましてくれた方たちのことは生涯忘れない。

弁護士として、有罪率99.9%の刑事裁判で無罪判決を勝ち取ったことをはじめ、大手出版社を相手取っての名誉毀損訴訟、金銭トラブル、労使紛争、企業再生、DV、離婚案件など、生活や仕事に密着したあらゆる事件に粘り強く取り組み、蘇生の人生ドラマに接してきた。

大阪弁護士会の「子どもの権利委員会」 に所属し、部会長も務めた。無料の電話法律相談「子どもの人権110番」を担当。いじめや不登校、児童虐待などの解決にも尽力。東日本大震災後は福島県で法律相談を行い、被災者支援に奔走した。

このような弁護士活動を通じ、社会の底辺で、貧困、社会的な孤立、心の病や体の障がい、虐待など、不利に不利がつながりやすい、悪条件に悪条件が重なりやすい社会の構造を目の当たりにしてきた。

これまでは、今ある法律を駆使して、目の前にいる一人ひとりの苦悩の解決に奔走してきたが、これからは、法律をつくる立場になって、より多くの人たちの人生を支えたい、日本を人権の先進国、教育立国、真の平和国家にしたい、この思いで政治の道に進む覚悟を決めた。

「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」

原点を忘れず、いてついた心に温かい命を吹き込む政治を実現すべく、国重とおるは国政に全力で挑む。

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